八尺只烏

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The finite one and the infinite one

多分これアーサー・ケストラーという哲学者が提唱したホロン(全体子)という概念を意識した歌詞なんじゃないかなと初めて聞いたとき思った
ホロンっていうのは簡単に言うと「それ自体が全体であり、また部分でもある」ようなものを指す言葉

かつて「あの男」は自分が作ったロボット(慈悲なき啓示)に「そもそも"人間"とは何か?」という定義を与えないまま「人間が永遠に幸せになるにはどうしたらいいか考えろ」って宿題出してバックヤードに放置してたら暴走されてしまった

人間とは何か
答えは無数にあると思う(イグザードでソルはそれを花火に例えたりした)

で、その1つがホロン

I drift tonight
Carried by the waves
I will just be a black sea
一人の人間はどこかの家族の一員であり、どこかの地域社会の一部であり、どこかの国の一国民であり、地球上に無数に存在する生命の中の一個体であり、どこかの恒星系で観測される知的生命体の一個体であり・・・そうやってどんどん俯瞰視点を広げていくと「宇宙の一部」というところまでいく

一方で、よくよく考えてみれば人間一人の体は約60兆個という途方もない数の細胞で構成されていて、体内や表皮にいろいろな生命体(皮膚常在菌とか大腸菌とかetc)が住み着いている。いわば人体そのものも1つの宇宙みたいなもの

ということは、極論すると人間はそのホロン的な存在、ハッピーケイオス的には「The finite one and the infinite one」な状態の存在
部分だと思えば部分ともいえるし(finite one)、それ一つが宇宙の総体のような不可算の存在(infinite one)でもある
で、"ハッピーケイオス"は「人間とは何か」問題についてそういう結論に着地したのだとすると、「"The finite one and the infinite one"な状態の存在(推定人口70億ちょい)をみんな等しく永遠に幸せにする」という命題そのものが破綻して意味を為さないという答えに行きついたはず

The truth is not always real
"真実"とは必ずしもいつも"現実"に寄り添ってくれるものではない
結論に達した後の、しみじみとした彼の心境がこの歌詞に表れているかのよう
(追記です。飛鳥のBGM聞いた方いますか。あっちにも真実と事実という単語が出ます。彼はハッピーケイオスが陥ったような虚無にさえ抗おうとして藻掻いている)

Can you hear it, the pulses of the living?
The erratic rhythm is a grand orchestra
It's never the same tone
言ってみれば「みんな違ってみんないい」だもんね
そりゃ2秒で忘れるし、「そんなもんだよ」ってなるし、結論なんてもう懲り懲りだ、ってなる

賢者タイムに突入して虚無っている自分はもはや生の当事者ではなく傍観者にすぎなくて、それゆえに大事なものなんてもう何もないのだけど、だからこそ、自分のような虚無に至っていない無知なままの人間たちが一生懸命藻掻いて命を謳歌する姿は"羨ましく"そして"美しい"と思っているはず(とあるゲームにめちゃくちゃハマったガチ勢が、初見勢を見て羨ましいなぁ、記憶消してまたストーリー追いかけたい・遊びたいなぁ、でも無理なんだよなぁ、って思ってる感じ)

一見、頭はハッピーでやってることはケイオスなんだけど、歌詞の意味を紐解いてこの歌を聞いて彼の事情を知れば、その行動原理は理解できる

When a violent storm is over
The blue sky is more beautiful than ever
You see?
I want that, That's all I want
「世界に混乱を巻き起こし、それを乗り越えさせることで、生きている実感をこれでもかと味わせてやる」
そんな姿を見れたら彼としても美しいものが見れてハッピー、生きている実感を得られて人間たちもハッピー。win-winじゃん(←こう思ってそう)

【追記】
大事なこと書き忘れていた
"「生きててよかった」と思えた瞬間"が、その人にとって不幸であるはずがないと思うんです
それは決して永遠に続くわけではないけど、それでもその瞬間だけはあらゆる人が幸せだと思える時間なんじゃないかなと
つまり人類に生きている実感をこれでもかと味わせることで、彼はかつて願っていた命題に1つの解を得たのかもしれないのよね

混沌としていて、さらに偽悪的でもある振る舞いで一見真意を見誤ってしまいそうだけど、"あの男"の人類愛はハッピーケイオスになってもなお不変だったりするのかもという、私なりの解釈でした。

長くなったけど読んでくれた方ありがとう。

 

「これといって大事なものがない、だから全てが美しい」か……
すごくいい言葉だなあ

 

エンドロールに向かわずに永遠を漂うとしたら
何度壁を超えてもさらに高い壁や深い絶望に出会う

安寧なんてなくてあるのは永遠に戦う事だけかもね

でも個人には終わりがある、ハッピーでもバッドでもなくデッドエンド

でもそれは個人であって全体としては限りなく無限に近く生きるかもしれないね

そうして文明は発達していく

でも文明の発達とともに人間は道具がなければできないことも増えているかもしれない

進化に方向性はないはずだからたとえ今の人間が滅んでも次に繋がればそれでいいのかな

人間は進化の過程で何を得て、どこが退化して何を無くすんだろうね

人間はどこからが人間で、いつまで人間でいられるんだろうね

生まれてどのぐらい経ってから君は君になって、どのぐらい思考を重ねたら君じゃなくなるのかな

最も人間らしい行いってなんだろうね

考えること?

でも感情や主観を抜きに思考を繰り返したら、それはもう生物として正しくない

でも感情に任せっきりなのも動物並みで人らしくないよね

何が言いたいかっていうとケイオスっていいキャラだねって